promised tune
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*** 琥珀色の空間には、甘ったるい酒の匂いと葉巻の煙が踊っていた。 狭いステージで奏でられるオールド・ミュージック。 テーブルに置かれたメニューの字がかろうじて読める程度に抑えられた明かり。 「ふん…無粋な人も居たものですねぇ…」 頬杖をついたまま、ボソリと呟く。 店の最奥、低いソファーとクッションに挟まれるように腰を下ろして独り静かに過ごすのが彼のお気に入りだったのだが、どうやら今日はそうもいかないらしい。 彼の向かいで落ちきなく周囲を見渡すのは、白衣を羽織った初老の男だった。 近くのテーブルの客が、好奇の視線を向けながら囁きあっている。薄暗い酒場に浮かび上がる白衣は、どう見ても場違いだ。 「それで?こんな所まで追いかけて来たからには、それなりの話があるのでしょうね?」 グラスに注がれた鮮やかな黄色の液体―――オレンジジュースをちびりと口に運び、ディストは不快そうに眉をひそめた。 「わ、わしは…いや、話をしなくちゃならんのはあんたのほうじゃないのかね?」 テーブルに置かれた飲み物に伸ばした手が震えている。まるで何かに怯えているように。 「やれやれ、気が短いと大変ですねえ。それともそんなに待ちきれないのは、あの方に急かされたからですか?」 普段は馬鹿にされ続けているディストでも、嫌味の一つくらい言えるのだ。それは彼が最大のライバルと公言しているジェイドに、散々冷笑を浴びせ続けられたお陰かもしれない。 そしてディストには何となく想像がついていた。この男が独断でここにやってくるはずがない。きっと、自分から何かを聞きだすように唆されたのだろう。 「あんたが持ち出したわしの実験データ、あれはうまく再現できたはず。なのに誰も、それを信じようとせん…」 「要は、彼≠ェどうなったか教えろ、と?」 「そうじゃ、わしはただ自分の研究が間違っていなかったと証明したいだけなんじゃ」 男の目は仄暗い明かりを受けて、粘つくような輝きを湛えている。 「華麗でパーフェクトな結果を出すためにはまだ経過観察が足りません。少なくとももう一度詳細なデータを取らなければ」 かつて、共同研究という名目でディストがベルケンドの研究所に自室を持っていた頃、この男から数々の資料を差し出された。レプリカにおける自我崩壊や、データの抜き取り量によるオリジナルの疲弊度…その他にも、目的を知る研究者から見ても相当に倫理を逸脱していると思えるような、奇妙で残酷な実験のデータを。 そして彼はやがて、最高の実験材料を手に入れたのだ。けっして公にはならない、しかし揺るぎない支援を得られるレプリカ作成の対象を。 ディストは嫌そうに溜息をつくと、ソファーから腰を上げた。 「ま、今のところ順調ですよ。この、薔薇のディストが、失敗するはずがない、…と伝えなさい。大詠師モースにね」 「!」 その男の名は、スピノザと言う。 *** 「何なんだ…これ…」 薄くかかっていた雲が晴れ、船室の丸い窓から光が溢れるように差し込む。 遠くに海鳥の声。柔らかに船を揺する波。 そんな穏やかな時間から独り浮いたように、鏡に向かうルークはまだ自分の瞳から目を逸らすことができないでいた。 瞬きをしても、やはりその左目は金色のまま。 瞼の上からそっと触れる。もう痛みはないが、精巧に造り込まれた装飾品のように美しいその輝きは、いくら見返しても自分の身体の一部のような気はしなかった。 「ご主人様…?」 寝惚けたようなミュウの声が聞こえた。振り返ると、ベッドの横に目を擦る小さな姿。 「ミュウ…俺、いつの間にここに…?」 じわじわと思い出す。冷たく硬い甲板に倒れ伏した時の、痺れた身体の感覚まで。 いったいどのくらい倒れていたのだろう? 「良かったですの…ご主人様、ミュウが見つけたですの…」 うっすらと目に涙を滲ませて跳ね起きたミュウは、ルークと目が合うと、その表情を輝かせた。 「見つけたって…やっぱり、甲板に…?」 「はいですの!」 駆け寄ってきたところを抱き上げる。ぐりぐりと腕に頭を擦り付けながら、ルークを見つけたときのことをミュウはぽつりぽつりと語った。 強烈な眠気に襲われてうとうとしていたミュウが目を覚ますと、それまで部屋に居たはずのルークが居ない。外に出ると、見張りの兵士たちの中にも座り込んで眠っている者が多く居たので誰もルークがどこに行ったのか知らなかったと言う。 「階段の上の扉が開いてたので、外に出てみたですの…そしたら、ご主人様が…」 倒れていたルークの傍らに居たヴァンが、ルークを助け起こそうとしていたように見えたとミュウは言った。 「師匠…何か言ってたか?」 「えーと…『封印術がかかってるのに無理をしたせいだ』って言ってましたの」 もう一度ルークは鏡を見る。左目に当てられた拳、そこから広がる痛み。自分の中から失われていった何か… (あれは何だったんだ…?) 同じように鏡を見上げたミュウが、小さく頷く。 「ご主人様の目、また色が変わってるですの。でも、前みたいに怖くはないですの」 「怖い?」 「みゅうぅ…ライガの女王様の時や、タルタロスのときは…本当はちょっと怖かったですの」 ミュウやライガは、人間よりも敏感にその「何か」を感じていたのだろうか。 (そうか…あの時、ローレライが…) 時が巻き戻った瞬間。金色の世界の中で、ローレライに触れられた左目。 これまで目の色が変わったのは、ルークの中のローレライの力が解き放たれた時だったのだろう。 その力が、今の自分の中にはない? 『もう一度私のものになるがいい!ローレライ!』 不適に笑うヴァンの姿が、ふと頭を過ぎる。 ローレライ、と。確かに彼はそう言った。 ルークの中に宿る力が何であるのか、知っていた。 (師匠…もしかして…) 気をつけろとアッシュが言っていたのは、このことだったのだろうか。 「!」 突然の大きな水音に、ルークはハッと我に返る。 続いて聞こえてくる歌のような掛け声は、碇を下ろす船員たちのもの。ガラガラと鎖の引かれる音と共に船が大きく揺れた。 接岸を知らせる汽笛。振り返れば、窓の外に小さくバチカルの街並みが見えた。 「ルーク、起きたのか?入るぞ」 ノックと共にドアの向こうから聞こえたのはガイの声。 「ガイ、ヴァン師匠は!?」 軽く開いた隙間から飛び出るように覗いたルークの勢いに、ガイは思わず仰け反った。 「なんだ、元気そうだな…ヴァン揺将なら、先に船を下りるって…」 「…!」 逆光でルークの顔は影になってしまっている。背後の窓の眩しさに目を細めたガイは、自分の横をすり抜けるように走り出したルークを慌てて追った。 「おい、もうバチカルに着いたんだぞ!そんなに急がなくても…」 「師匠に聞かなくちゃいけないことがあるんだ!」 自分の中から奪い去られた力と、最後にかけられた言葉。 『もうお前の役割は終わりだ、愚かなレプリカルーク、よ…』 ヴァンの言うレプリカルーク≠フ役割とは、アクゼリュスで超振動を起こすことではなかったのか? 何かが違う。何かが大きく変わり始めている。そんな不安がルークを満たしていた。 (っ…酷い違和感だな…) 片目を瞑ったまま走っているような感覚。うまく遠近感がつかめず、ルークは階段を踏み外しそうになる。 「どうしたの?」 よろめいたルークを甲板から覗き込んだティアが、その顔を見て息を飲んだ。 「ルーク、あなた…目が…」 これまでの一時的な変化とは違う、圧迫感を感じるほどの力を持たない金の瞳。 どこか不安げにティアが首を傾げる。 「ティア、ヴァン師匠を止めなきゃ…師匠は?」 「兄さん?じゃあ昨夜のあれはやっぱり兄さんがやったことなの?」 振り返った先には、甲板の端と手すりにぽっかりと空いた大きな穴。しかしそれがいつの間にできたものなのか、ルークには覚えがなかった。 少なくとも、自分が…自分の中のローレライが超振動を起こそうとした際のものではない。 答えられないルークの姿に、そっとティアが目を伏せる。自分の予想していた以上の、何か不穏なことが起こっていると彼女も気づき始めていた。 |